1750〜1759年の出来事
江戸時代
99 件 世界 15・日本 19・北米 8・ヨーロッパ 48・ソ連・ロシア 4・アジア 4・中東 1
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1750〜1759年の主な出来事
- 1751年日本桜町上皇崩御および徳川吉宗死去に伴い寛延から宝暦へ改元。
- 1755年ソ連・ロシアロシア帝国でエリザヴェータ女帝の命とロモノーソフの主導によりモスクワ大学創立。
- 1755年北米フレンチ・インディアン戦争:モノンガヒラの戦い。英軍のエドワード・ブラドックが仏・先住民軍に大敗(翌年の欧州七年戦争・外交革命へ連動)。
- 1756年世界フランス・オーストリア間で第1次ヴェルサイユ条約締結(外交革命)。ブルボン家とハプスブルク家の防衛同盟が成立し、ロシア女帝エリザヴェータも合流して対プロイセン包囲網(「3枚のペチコート」)が形成される。
- 1756年ヨーロッパプロイセン王国(フリードリヒ2世)がザクセン公国に侵攻し、ヨーロッパで七年戦争が勃発。
- 1757年世界プラッシーの戦い。イギリス東インド会社のクライヴが、武将ミール・ジャアファルの内応によりフランス・ベンガル太守シラージュ・ウッダウラ連合軍を撃破。イギリスのインド植民地化の起点となる。
世界15
- 1750年ポルトガル・スペイン間でマドリード条約締結。ブラジルの西進承認によりトルデシリャス条約(1494年)境界線を事実上改定。
- 1750年英西間で通商マドリード条約締結。イギリスがユトレヒト条約(1713年)で得たアシエント(スペイン領アメリカへの黒人奴隷供給の独占権)を放棄。
- 1750年イランでカリーム・ハーンがシーラーズを拠点にザンド朝(〜1794年)を創始。
- 1751年第2次カーナティック戦争:イギリス東インド会社のクライヴがアルコットを奇襲・防衛(アルコットの戦い)。フランスの総督デュプレクスを退け、イギリスが南インドの覇権を確立。
- 1752年第2次カーナティック戦争:イギリスのロバート・クライヴらがトリチノポリでフランス軍を降伏させ、チャンダー・サーヒブが処刑される。イギリスが南インドでの優位を確立。
- 1754年オールバニ会議開催。フランクリンが初の植民地連合案(オールバニ計画)を提示。
- 1754年フレンチ・インディアン戦争:ネセシティ砦の戦い。イギリス植民地軍のジョージ・ワシントンがフランス軍に降伏。
- 1754年イギリス国王ジョージ2世の勅許により、ニューヨークにキングズ・カレッジ(後のコロンビア大学)が創立。
- 1755年コルシカ憲法
- 1756年フランス・オーストリア間で第1次ヴェルサイユ条約締結(外交革命)。ブルボン家とハプスブルク家の防衛同盟が成立し、ロシア女帝エリザヴェータも合流して対プロイセン包囲網(「3枚のペチコート」)が形成される。
- 1757年アフガニスタンのドゥッラーニー朝君主アフマド・シャー・ドゥッラーニーがムガル帝国の首都デリーを占領・略奪(ムガル帝国の形骸化が進み、1761年の第三次パーニーパットの戦いへ)。
- 1757年プラッシーの戦い。イギリス東インド会社のクライヴが、武将ミール・ジャアファルの内応によりフランス・ベンガル太守シラージュ・ウッダウラ連合軍を撃破。イギリスのインド植民地化の起点となる。
- 1757年イギリスで大ピット(ウィリアム・ピット)主導の第2次ニューカッスル公爵内閣が成立。北米・インドの植民地獲得戦争に注力。
- 1758年七年戦争: ツォルンドルフの戦い。フリードリヒ2世率いるプロイセン軍がロシア軍を撃退。
- 1759年第三次カーナティック戦争: マドラス包囲戦終結。イギリス東インド会社軍が仏軍を撃退し南インドで優位を確立。
日本19
- 1750年京都・二条城の天守(旧伏見城天守)が落雷で焼失。以後再建されず天守台のみ存続。
- 1751年桜町上皇崩御および徳川吉宗死去に伴い寛延から宝暦へ改元。
- 1752年尚敬王 死去
- 1753年宇都宮藩で藩の米専売化に反対する農民一揆の籾摺騒動が発生。
- 1754年山脇東洋が京都で日本初の官許人体解剖(腑分け)を実施。『蔵志』刊行へ至る先駆となる。
- 1754年美濃国郡上藩で農民が傘連判状を作成し強訴(郡上一揆。のちに箱訴に発展し藩主改易・幕閣処罰へ)。
- 1754年松前藩が国後島に国後場所を開設(場所請負制の進展)。
- 1755年貞享暦から宝暦暦に改暦(精度の不備から後に寛政暦へ改暦)。
- 1755年薩摩藩が幕命により施工した木曽三川の治水工事が完了(幕府巡検使の検分終了)。
- 1755年薩摩藩家老・平田靱負が工費負担と藩士犠牲の引責のため自害(宝暦治水事件)。
- 1756年江戸幕府で大岡忠光が第9代将軍徳川家重の側用人に就任(武蔵岩槻藩主)。
- 1757年8月中旬(宝暦7年7月) - 本草学者の田村藍水・平賀源内らが江戸湯島で日本初の薬品会(物産会)を開催(博覧会の嚆矢)。
- 1758年宝暦事件: 公家に尊王論(垂加神道)を説いた竹内式部が京都所司代に捕縛される(翌年重追放)。
- 1758年御側御用取次の田沼意次が加増され1万石の大名(遠江相良藩主)に列格、評定所審理に加わる。
- 1758年イオン 設立
北米8
- 1752年北米でベンジャミン・フランクリンが凧揚げによる雷実験を行い、雷が電気現象であることを証明したとされる(日付は通説)。
- 1754年ベンジャミン・フランクリンが植民地の団結を訴える風刺画『Join, or Die』を発表。
- 1755年ボーセジュール砦の戦い
- 1755年フレンチ・インディアン戦争:モノンガヒラの戦い。英軍のエドワード・ブラドックが仏・先住民軍に大敗(翌年の欧州七年戦争・外交革命へ連動)。
- 1755年ジョージ湖の戦い
- 1758年ルイブールの戦い
- 1758年カリヨンの戦い
- 1759年フレンチ・インディアン戦争: エイブラハム平原の戦い。英軍が仏軍を破りケベックを占領(両軍司令官ウルフとモンカルムは戦死)。
ヨーロッパ48
- 1752年北米の13植民地を含むイギリス帝国全域で、ユリウス暦からグレゴリオ暦への切り替えが実施される(9月2日の翌日を9月14日とする)。
- 1753年ベンジャミン・フランクリンが避雷針発明などの電気研究によりイギリス王立協会からコプリ・メダルを受賞。
- 1755年リスボン大地震。首都壊滅後、ポンバル侯主導で再建。ヴォルテールの『カンディード』執筆など啓蒙思想にも影響。
- 1756年イギリス・プロイセン間でウェストミンスター条約締結(英普同盟成立)。
- 1756年ミノルカ島の海戦でフランス海軍がイギリス海軍に勝利。
- 1756年プロイセン王国(フリードリヒ2世)がザクセン公国に侵攻し、ヨーロッパで七年戦争が勃発。
- 1756年ロボジッツの戦いでプロイセン軍がオーストリア軍を撃破。
- 1757年フランスとオーストリアが第二次ヴェルサイユ条約を締結(外交革命を強化、対プロイセン包囲網を形成)。
- 1757年七年戦争: ロスバッハの戦い。プロイセン軍がフランス・神聖ローマ帝国連合軍を撃破。
- 1757年七年戦争: ロイテンの戦い。プロイセン軍がオーストリア軍を撃破。
- 1758年七年戦争: イギリスとプロイセンが英普協定を締結(イギリスが軍費補助金を供与)。
- 1759年七年戦争: ミンデンの戦い。英普連合軍が仏軍を撃破。
- 1759年七年戦争: クネルスドルフの戦い。プロイセン王フリードリヒ2世が露墺連合軍に大敗(ブランデンブルクの奇跡の契機)。
- 1759年七年戦争: ラゴスの海戦。英海軍が仏トゥーロン艦隊を撃破。
- 1759年七年戦争: キブロン湾の海戦。英海軍が仏ブレスト艦隊を壊滅させ、仏の本土侵攻を阻止。
ソ連・ロシア4
- 1755年ロシア帝国でエリザヴェータ女帝の命とロモノーソフの主導によりモスクワ大学創立。
- 1756年グシ=フルスタリヌイ 成立
- 1757年グロース=イェーゲルスドルフの戦い
- 1758年ドームシュタットルの戦い
アジア4
- 1751年清の乾隆帝がチベット内乱平定後「西蔵善後章程」を制定。世襲郡王制を廃してガンデンポタン(チベット政府)に4人の大臣(カロン)からなる合議制内閣を設置し、ダライ・ラマ7世に世俗統治権を付与。駐蔵大臣の監督権を強化し清朝の統治機構を確立。
- 1752年ミャンマー北部でアラウンパヤーがコンバウン王朝を創始。
- 1757年清の乾隆帝が貿易港を広州1港に限定し、特許商人公行(十三行)に貿易独占権を付与(広東システムの成立)。
- 1759年ムガル帝国第14代皇帝アーラムギール2世が宰相により暗殺される。
中東1
- 1757年オスマン帝国のスルタンがオスマン3世から第26代ムスタファ3世に交代。