6世紀の出来事
501〜600年・古墳時代〜飛鳥時代
74 件 世界 5・日本 24・ヨーロッパ 27・アジア 13・中東 4・中南米 1
6世紀の主な出来事
- 507年頃ヨーロッパフランク国王クローヴィス1世のもとで「サリカ法典」が編纂される。
- 537年世界カムランの戦い
- 558年世界サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥の室点蜜(イステミ)と同盟し、ブハラの戦い(ゴル・ザリウンの戦い)でエフタルを滅ぼす。
- 570年中東アクスム王国のイエメン総督アブラハが象を連れてメッカを攻めるが、メッカは市街を守り抜く。この年は「象の年」と呼ばれ、預言者ムハンマドはこの年に生まれたとされる。
- 581年アジア中国で楊堅(文帝)が北周を滅ぼして隋を建国。「開皇律令」が公布される。
- 594年日本法隆寺五重塔心柱のヒノキ材の伐採年代が年輪年代法によりこの年(推古2年)のものと判明している。
世界5
- 537年カムランの戦い
- 540年頃ベネディクトゥスが「聖ベネディクトゥス戒律」を定める。
- 558年サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥の室点蜜(イステミ)と同盟し、ブハラの戦い(ゴル・ザリウンの戦い)でエフタルを滅ぼす。
- 589年またこの会議でニカイア・コンスタンティノポリス信条への「フィリオクェ」の挿入が採択される。
- 594年トゥールのグレゴリウスが『歴史十巻(フランク史)』を完成させ、この年に死去。
日本24
- 503年「癸未年八月」の干支銘をもつ人物画像鏡が和歌山県橋本市の隅田八幡神社に伝わる(癸未年を443年とする説もある)。
- 507年後に奈良時代に至り「継体天皇」の漢風諡号が撰進される。
- 518年継体天皇が河内国樟葉宮から山城国弟国宮に遷都する。
- 527年筑紫国造磐井の乱起こる(『日本書紀』継体天皇21年)。
- 531年継体天皇崩御、安閑天皇即位。
- 534年頃武蔵国造の乱。
- 536年安閑天皇崩御、宣化天皇即位。
- 572年欽明天皇崩御、敏達天皇が即位。
- 578年世界最古の会社である金剛組(大阪市)が創設される。
- 585年敏達天皇崩御、用明天皇即位。
- 587年用明天皇崩御、蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす(丁未の乱)、崇峻天皇即位。
- 588年蘇我馬子の発願による日本最初の本格寺院の法興寺(飛鳥寺)の造営が始まる(〜596年)。
- 592年崇峻天皇が弑逆され、推古天皇が即位。聖徳太子が推古天皇の摂政となる。
- 593年聖徳太子の発願による四天王寺の造営が始まる。
- 594年法隆寺五重塔心柱のヒノキ材の伐採年代が年輪年代法によりこの年(推古2年)のものと判明している。
ヨーロッパ27
- 507年頃フランク国王クローヴィス1世のもとで「サリカ法典」が編纂される。
- 507年ヴイエの戦いでフランク王国が西ゴート王国に勝利。西ゴート王国は南ガリアの領土を喪失。
- 524年頃東ゴート王国の執政官であったボエティウスが処刑される。この時期までに『哲学の慰め』が執筆される。
- 527年東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が即位(〜565年)。
- 529年ベネディクトゥスがイタリアのモンテ・カッシーノに修道院を創設。
- 530年ユスティニアヌス1世が古代ローマ法の集大成である『ローマ法大全』編纂を命じる(533年完成)。
- 532年東ローマ帝国でニカの乱。
- 533年フランク王テウデリク1世が、チューリンゲン王ヘルマンフリートをツェルピッヒ城で殺害し王国を滅ぼす。
- 535年東ゴート元女王アマラスンタが殺害され、東ローマ帝国が軍事介入を開始(ゴート戦争)。
- 546年東ゴート国王トーティラの軍勢がローマを略奪。
- 546年頃ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂が献堂される。
- 553年第2コンスタンティノポリス公会議で「三章問題」が討議されその著作が排斥される。
- 558年クロタール1世によりフランク王国が再統一される(〜561年)。
- 570年ランゴバルド系のスポレート公国・ベネヴェント公国が成立し、東ローマ帝国領南イタリアと拮抗する。
- 590年ローマ教皇にグレゴリウス1世が即位。
アジア13
- 502年南朝の斉に代わり蕭衍(武帝)が梁を建てる
- 520年インド出身の達磨が海路を通って広州に到着する。
- 528年河陰の変で、北魏の爾朱栄が霊太后を倒し孝荘帝を擁立。
- 534年高歓が鄴で孝静帝を擁立し、北魏は東魏(鄴)と西魏(長安)に分裂する。
- 534年西魏の宇文泰が郷兵を結集し、府兵制が成立する。これに伴い十二大将軍・八柱国の軍団が整備され、武川鎮軍閥(関隴集団)が結集する。
- 543年頃デカン高原に前期チャールキヤ朝が成立する。
- 550年東魏を滅ぼした高洋(文宣帝)が北斉を建国。
- 552年北アジアで柔然の阿那瓌可汗を自殺に追い込み、伊利可汗(土門可汗)が独立して突厥を建国。
- 556年西魏を滅ぼした宇文覚(孝閔帝)が北周を建国。
- 557年梁を滅ぼした陳霸先(武帝)が陳を建国。
- 581年中国で楊堅(文帝)が北周を滅ぼして隋を建国。「開皇律令」が公布される。
- 582年沙鉢略可汗と対立した阿波可汗が西方の達頭可汗のもとへ出奔、突厥が東突厥と西突厥に分裂する。
- 598年隋で科挙が行われる。高句麗遠征(隋の高句麗遠征)に失敗する。
中東4
- 506年アルメニア使徒教会の全主教会議により、カルケドン信条の不採択が決定される(アルメニア使徒教会の独立)。
- 529年追放された哲学者たち(ダマスキオス、シンプリキオス、プリスキアノスら)はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、ホスロー1世の庇護を受ける。
- 542年頃ヨルダン西部マダバの聖ゲオルギオス教会の床モザイクに中東地域の地図が描かれる(マダバ地図)。
- 570年アクスム王国のイエメン総督アブラハが象を連れてメッカを攻めるが、メッカは市街を守り抜く。この年は「象の年」と呼ばれ、預言者ムハンマドはこの年に生まれたとされる。
中南米1
- ペルーの中央高地アヤクチョ地方を中心にワリ文化が発展する(〜10世紀)。それまでのヤマト王権の王統嫡流が断絶し、誉田別尊大王(後の応神天皇)五世の子孫とされ越前と近江に地盤を持ち尾張連草香の娘を妃としていた男大迹王(後の継体天皇)が、大伴氏、物部氏、巨勢氏らにより畿内に迎えられて前王統の手白香皇女を皇后に迎え、治天下大王として擁立される。やがてこの継体系の王家は新興の蘇我氏と結びつき、武川鎮軍閥系の政権によって大陸が華北の再統一から南北朝の統一へと向かう中、前世紀の「倭の五王」後に途絶えていた活発な東アジア外交を再開する。